高田 みづえ(たかだ みづえ)1960年6月23日 – )は、元相撲部屋の女将で、元歌手・元タレント。鹿児島県揖宿郡頴娃町(現・南九州市)出身。 夫は元大関の大相撲力士で、現荒磯親方の若嶋津六夫(本名:日高六男)。長男は元俳優の勝信。長女はタレントのアイリ。本名:日高 みづえ(旧姓:高田)。 55キロバイト (5,360 語) – 2022年1月28日 (金) 15:32 |
posted2022/02/04 11:09
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写真は1985年2月、婚約を発表した大関・若嶋津と歌手の高田みづえさん(紀尾井町のホテルニューオータニで)
text by
佐藤祥子
Shoko Sato
photograph by
KYODO
2022年初場所を終え、あるひとりの女性が、相撲部屋のおかみさんを“卒業”した。人気大関だった若嶋津の伴侶である、元実力派アイドル歌手の高田みづえ――日高みづえさんだ。
1977年、『硝子坂』でデビューし、『私はピアノ』『そんなヒロシに騙されて』で2度のレコード大賞金賞を受賞。85年に、当時大関だった同郷の若嶋津と24歳で結婚し、同時に並々ならぬ覚悟で芸能界をきっぱりと引退する。90年2月、千葉県船橋市に松ヶ根部屋(当時)を興した夫に寄り添い、華やかな芸能界と対極にあるかのような相撲界――男だけの修業の世界を裏から支える”おかみさん”となった。
2014年に、夫は一門総帥の“二所ノ関部屋”を継承。このたびの定年退職にあたり、32年の長きにわたり掲げて来た相撲部屋の看板を下ろした。夫と弟子たちを、小柄な体と底抜けの明るさで支えてきた“薩摩おごじょ”だ。
「まだ、どうしても私の名前が目立ってしまうから」とメディア出演を遠慮していたみづえさんを説得し、初めてインタビューをさせていただいたのは、もう四半世紀近く前のこと。
アイドル歌手から人気大関夫人に、2人の子どもを持つ母として、そして相撲部屋のおかみに――。折々に取材させていただいた、みづえさんの言葉を振り返ってみた。
1985年9月の結婚式。ウェディングケーキにナイフを入れる大関・若嶋津と新婦の高田みづえさん、東京・紀尾井町のホテルニューオータニで ©KYODO
「ジーパンくらい新しいのを買ってくれ、と」
いつなん時も割烹着やエプロン、ジーパン姿。まったく飾ることなく、堅実で控え目。小柄な体で元気いっぱい にくるくると動き周り、常に笑顔を絶やさないおかみさんだった。
「お願いだからジーパンくらい新しいのを買ってくれ、と親方に言われてしまうんですよ(笑)」との笑顔を懐かしく想い出す。
松ヶ根部屋設立当初は、弟子3人と元力士のマネージャーとのスタートだった。
「それまで二子山部屋(初代若乃花)のほうに預けていた内弟子さん2人と、床山さんになる子と一緒に、初めて食事をしたんです。私は30歳にもなって、なんだか気恥ずかしかったのを憶えています。
当時、正直言って歌手だったことをハンデに感じたこともありました。どうしても私の名前が出てしまう。インタビューやテレビの取材も、それを見てお相撲さんたちの親御さんが部屋の雰囲気をわかってくれたらいいという気持ちもあったけれど、
『よし、徹底的に裏方に徹してやろう』と思ったんです。もう、必要以上に肩に力が入っちゃっていたんですね」
町内会役員、PTA役員も経験
===== 後略 =====
全文は下記URLで
https://number.bunshun.jp/articles/-/851914
すみれ色の涙
硝子坂は良かった。
ドリフのコント やってた 綺麗な芸人さんかと
アイドルてか歌手
人も羨むような仲がいつも自慢の二人だった
素敵な女性だよね
親方も本当にいい人そう
あんたピアノなのかいっていう人
>>33
昔じゃなくて復活してからか
上手だな
>>33
艶っぽい声のままだ、相変わらず上手い
いい話だな~
披露宴はテレ朝が生中継したな
私はピアノとか歌ってるときのこの人すごく色っぽいけど確か研ナオコのイメージで売り出したと知って成る程なと思った
素晴らしい女性だと思う
また歌って欲しいな
YouTubeでもやってくれないかな
Amazonのサブスクに高田みずえがないと
松本がワイドナショーで言っていた
>>62
ダウンタウンの二人ともファンだっけ?
一緒にコンサートに行ったとか言うてたよな
歌上手かったよな
かわいいし
鹿児島のアイドルといえば昔は高田みづえ
今は勝みなみ
アイドルというか、当時としても珍しい中卒で田舎から出て来た苦労人てイメージだった
Source: 気になる芸能まとめ
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