アトピーの喘ぎ声。出会い系はマッチングアプリのメンへラで風俗嬢

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私は、今… わけのわからない、本当に理解不能なアトピーに苦しんでいます。

もちろん、アトピーで苦しむ人は、私以外にも たくさんいると思いますが、

私のような(あり得ない)原因不明のアトピーは、絶対に私一人だけのように思われます。

いくら発症人数の少ない難病だって、十万人に一人とか… 最悪でも百万人に一人とかで、

必ず自分以外にも、同じように苦しむ人がいると思いますが(また、それが安心や慰めに繋がるとも思いますが)

私の場合は、誰もいない… リアルでは もちろんのこと、いくらネットや書籍で、事例を探してみても見当たらないのです。

ゆえに原因も、さらには治癒方法も分かりません。

アトピーの症状も(これは私一人とは言わないものの、それでも)千人に一人くらいのものと思われる、非常に稀で珍しく、さらには酷いものなのです。

(アトピーの原因である)副腎が萎縮でなく、それを越えて損傷した症状とでも言いましょうか…

とにもかくにも、他に事例がないというのは、非常に辛い事実です。

自分のアトピーを誰かに話すと「そんなこと、あり得ないだろう? 頭、大丈夫なの?」とバカにされ、笑われるのが毎度なのです。

だけれど(見方を変えると)それは当然だとも思えます。

だって、いま こうして実際に経験している、超本人の自分でさえ信じられないのですから…

「なんなんだ? これは一体……。なんで、こうなるんだ…」みたいに。

ホントにマジに(と、それらを何個つけても足りないくらい)本当に本当に、わけの分からない原因不明なアトピーなのです。

そして私は、身近な人間に普通に話すのはやめて、こうして不特定多数はYouTubeで話すのを決意しました。

最初に「例え変人扱いされ、バカにされたっていい… もしかしたら、同じ原因で苦しんでいる人がいるかもしれない」

それから「もしかしたら、その原因が解る人間がいるかもしれない。そして、それを教えてもらい俺も普通に暮らしたい」

最後に「そうすれば自分は、今のような綱渡りの生活でなく、心も体も安住に生きられる」と藁にもすがるような思いで…

しかし、今でこそ こんなふうに(あり得ない)理解不能なアトピーに、たった一人 悩み苦しんでおりますが、

以前の私は、もはや「アトピー(自然)治癒のプロフェッショナル」とも呼べる人間でした。

自分自身の身体を使い、身をもって悪化と治癒を繰り返したから、全てのプロセスが実体験により解る。

言うなれば、そのへんのアトピーと見れば、その原因を垣間見ることをしないで、

アホの一つ覚えみたく、ステロイドを出すしか能のない、お偉い先生方とは真逆の人間とでも言いましょうか……

それは遡ること… 私が、15才のとき。

その年齢が、私の今に続く(それからの人生の大半を過ごした)アトピー遍歴の始まりでした。

私の人生は、イコール アトピーと言っても過言じゃないと思います。

いま流行りの、直木賞は小説タイトル風に言うと「ボクとアトピーと、時々 放浪の旅」とでも言いますか…

(今でこそ「マスクもしない」や「〇〇チンは死んでも打たない。強制なら山に逃げる」など、

(99%の賢い大衆から)すっかり おかしな1%の変人に、なり下がってしまいましたけれど)

私も当時は(テレビや世間に)洗脳されていて「いい高校に合格し、それからいい大学、さらにはいい会社に入らないと幸せにはなれない」などと、

現在とは真逆の、本来 幸せには一番遠くなる、キチ〇イみたいなことを、心底から信じ込んでいて、

「国立広大付属高校絶対合格!」を掲げ、死にもの狂いで ひたすら勉強しましたが、

そいつと平行し、不良に目をつけられ、学校が終わるたび、トイレや体育館裏に呼び出されリンチを食らっていました。

いま考えたら単純なことで、そんな状況なら、学校に行かなければいいだけの話しなのですが、

当時…(完膚なきまでに)洗脳されいるバカな私は「学校には絶対に行かないといけない」と信じていて、それでも毎日 登校しました。

言うなれば、毎日ボコボコにされるため行っているようなものです。

ちなみに、その中において、目を革靴の踵で蹴られ、まぶたが切れてしまい、縫ったことがあり、

さすがに、それからはしばらく収まりましたが、間もなく… また、当たり前みたいに再開されました。

学年トップの成績なのに、一匹狼を気取る(浮いた存在の)アウトローが、奴らには腹立たしくて仕方なかったのでしょう。

まぁ、わからないでもありませんが…

奴らには、自分らが見下されているように感じたのかもしれません。

実際にも「バカで頭の悪く、そのうえ群れないと何もできないクズらが…」と見下してました。

私は「広大付属は受験のためにも学校へは行かないといけない」と「もう学校へは行きたくない」

その板挟みの、強烈なストレスから、初めてアトピーを発症しました。

ある朝… 起きると額の生え際から、黄色い汁(体液)が流れるように出てきました。

(正確には、寝ている間に無意識に掻いていて、それまでも既に汁は出ている)

いまなら、それの原因はストレスと一目瞭然… 解るから「学校を行かないことにする」や「くだらない受験勉強なんかしない」を選択し、

ストレスを無くす… もしくは減らし、ストレスで機能が悪くなった(アトピーの原因である)副腎の回復を、

(本来人間が誰しも持っている)自然治癒力で促し治すという、至って単純な治療法で終わるのですが、

やはり、洗脳されきっている当時の私は(この洗脳社会は お約束の)病院へ行き、処方されたステロイドを塗りました。

いや、振り返ると「当たり前に塗ってしまった」と書くのが正しいでしょうか…

言うなれば、興味本意は軽い気持ちで覚醒剤をした「カラスの首輪」の著者とでも言いましょうか by ホスラブ小説全盛期。

すると、これぞ医療の進歩か? はたまた医療の悪魔か?

ステロイドを塗ると、嘘みたく一気に治りました。

あれほどあった激しい痒みも、次から次に流れ出る体液も一気に止まる。

無論、そいつは表面上のみで、内部の副腎は(ステロイドの合成副腎ホルモンにより)さらに機能を低下させ、

アトピー自体は悪化しているのですが、そんなことは知らない私は歓喜し「やっぱりクスリって凄いなぁ」の……。

言うまれば、うつ病で不眠症だった人間が、処方された向精神薬に感動し、それから廃人になる様の如く。

はたまた覚醒剤による…

そして、それから私は、ステロイドが手放せなくなりました。

だんだん塗る量は増えていき、一日でチューブ一本に至るまでは、そう日にちは要しませんでした。

いわゆるステロイド漬けという状態です。

(現在はステロイドを入れた紙袋、さらには それを入れたビニールを手に持つだけでも嫌で、貰うとすぐに処方箋薬局の前のドブに ぶん投げる私だけれど)

いま考えたらゾッとする、そんな当時のステロイド漬け状態で、なんとか広大付属は国立の進学校に合格するも、クラスに馴染めず中退、

(横並びは、個性皆無な生徒らに吐き気と、なんだか「いい大学に行く」とか馬鹿馬鹿しく感じだす)

それから左官の見習いを住み込みや、そこを深夜に抜け出し、広島から東京へ寮のある仕事(当時は、まだ大衆食堂だった大戸屋)など、

(それまでの、勉強ばかりしていた自分とは皆無)ちょっぴりアウトローな経験を踏まえるも、

元来は気の小さい、真面目な坊っちゃんにつき「やっぱり中卒では厳しいな」などと、再びアホみたいな思考に逆戻り。

そのため、家出した東京から愛媛に戻り… 祖母のいる松山で、祖母の奮闘で、県内きってのバカ私立高校に編入するも、

やっぱり、そこでもヤンキーらに再びボコボコ、はたまた今度は性処理の道具にも追加されたりの散々。

ここでは、中学のときみたいな数人いる不良じゃなく、全国から それを集めたみたいなとこだったから、

内容も中学のときの比ではなく、もはや当時… 私は、自分を人間とは思わずに過ごしていました。

しかし、そんな地獄のような生活だったけれど、祖母にバカ高い入学金を払ってもらい編入した高校だったから、

また、二度もは中退することは出来ず、卒業までの二年を「高卒の資格だけは絶対に必要なんだ」そう自分に言い聞かせ、ただただ耐えて過ごしました。

広島から東京へ家出したときの、アルバイト雑誌は「資格 高卒以上」がトラウマとなり潜在意識へ…

ステロイドも、そんなストレスまみれの状況でしたから、そのときに加速度的に増えました。

リンチもさることながら、レイプまがいは性処理の道具が辛い。

そして、ようやく卒業、逃げるよう東京に上京。

しかし、よほど そのときのレイプ体験がトラウマなのか、それから毎夜… 夢で見て、うなされ汗だくになる。

(今の「クソ親なんか死〇ばいい」とは真逆は、これまた「親にだけは絶対 迷惑かけれない」とアホみたいなことを洗脳されている… いや、これに関しては自らを洗脳していた当時の私は)

着いた東京、練馬は上石神井の読売… 住み込みの新聞配達で(ステロイドを塗り塗り)カネを貯めて、

それからマンションを借りて、ついでにそこを紹介してくれた不動産屋の社長が同郷「君も広島か?僕は福山だよ」の縁あり就職と、

そうして上京してからも、様々な出来事を経て… また、それから幾十、下手すりゃ幾百近くと職を転々とし、

最後は神田の小さな求人広告(夕刊紙)の会社(代理店)をクビになり、東京転職遍歴は終わりました。

また私の身体も、それと同じく終わりました。

ステロイドの副作用で廃人に…

まさに(違法な)覚醒剤と同じ

はたまた(合法なのに)向精神薬…

ここからが私の、本当の地獄なのでした

今までは仕事とクスリで現実を見ていない…

全てを失い、廃人のようになった私は「………結局、あれは何だったのだろう」思い返しました。

私は、他人と折り合いがつかないのと、仕事にやりがいを感じることが出来ない理由で、

そんなふうに次から次に、短期間で職を転々とし(経験してない職種はパイロットと政治家くらいなほど)

肉体労働からサラリーマン、はたまた水商売と、ほとんどの職種を経験しましたが、

どの面接の場面でも、履歴書の「〇〇高校卒業」の事実を確認すべく「卒業証明書見せてくれる?」と言われたことはありませんでした。

まぁ仮に「見せて」と言われても、それは薄茶色の新聞紙みたいな、ペラペラの西洋紙に、

学校の名前と、その横に判が押してあるだけのもので、それが卒業証明書と呼べるものなのかすら分かりませんが…

私が、あれほどの辛い思い…(現在でも魘されるトラウマ経験)をして得た、高卒の資格とは一体なんだったのでしょうか…

実際に蓋を開けてみると、なんの必要もなかったのです。

卒業証明が必要ないなら、普通に「国立広島大学付属高校卒業」と履歴書に記入しても、なんらの問題はなかったのです。

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